ペトラ遺跡に行けず、目的地を人類最古の神殿ギョベクリテペに変更
ヨルダンのペトラ遺跡への旅行の予約をしていましたが、政情不安により渡航が難しい状況となり、直前で中止となってしまいました。
そこで代わって目的地としたのがトルコ。人類最古の神殿ギョベクリテペと、神々に最も近い墳墓ネムルート山でした。
トルコ南東部、人類の文明が産声を上げた「メソポタミアの揺籃」を巡る旅。それは、単なる観光を超えて、数千年の時の流れを肌で感じる巡礼のような時間でした。
この対照的かつ圧倒的な二つの聖地を一度に巡った記録を、熱量そのままに綴ります。

今回の旅はHIS社の「トルコ世界遺産紀行9日間ツアー」を利用しました。
以前から訪れたかったギョベクリテペだったのですが、トルコの最南東端と遠かったり、トルコ・シリア地震で大きな被害を受けた地域でもあったので、躊躇していました。ところがこの「トルコ世界遺産紀行9日間ツアー」では、トルコに散在する世界遺産を効率良く見学できる程に、とてもよく練られた企画だったので、思わず申し込んでしまいました。
トルコの美食の首都「ガズィアンテプ」へ✈️✈️✈️

まず、トルコ巡礼旅の起点となるトルコ南東部に位置するガズィアンテプ(Gaziantep)の街に向かいます。飛行機はイスタンブールでトルコ国内線乗り継ぎ、1時間45分を経て、シリアとの国境からわずか40km程のガズィアンテプに到着しました。

チュニジアに行ってきました。 首都のチュニスでは、白と青の街シディ・ブ・サイドの散策、迷路のような世界遺産旧市街(メディナ)での異国情緒体験、バルドー博物館の鑑賞、カルタゴ遺跡巡りがおすすめですね。ところが、今回の旅は観光旅行ではなく、陸[…]
















失われた古代都市の息吹が、色鮮やかな石のひと粒ひと粒に宿るゼウグマ・モザイク博物館
ゼウグマ・モザイク博物館(Zeugma Mosaics Museum)は世界最大級の規模を誇るモザイクの殿堂です。ここは、失われた古代都市の息吹が、色鮮やかな石のひと粒ひと粒に宿る魔法のような場所でした。
紀元前300年頃にアレクサンダー大王の将軍セレウコス1世が、ユーフラテス川のほとりに創建した古代都市「ゼウグマ(Zeugma)」は、軍事・商業の要衝として繁栄していました。
その後、7世紀にウマイヤ朝カリフ国によるアラブ人の襲撃により放棄され、シリア砂漠から吹き寄せる砂嵐に覆われてしまい、近年まで失われた存在でした。しかし西暦2000年にこの地にダム建設計画が持ち上がり、水没の危機に際しての緊急発掘により残された遺物は、このゼウグマ・モザイク博物館に収められました。
古代の邸宅を歩くような没入感、当時の貴族たちがワインで憩っていた情景が…
館内は、実際にモザイクが発見されたローマ時代の邸宅の配置を模して構成されています。柱や壁画とともに展示されているため、単なる「美術品」としてではなく、「人々の暮らしの一部」としてモザイクを感じることができます。
当時の貴族たちが、この美しい床を眺めながらワインを楽しみ、語らっていた……。そんな情景が、静まり返った展示室の中で鮮やかに脳裏に浮かぶようでした。






シルクロードの架け橋となった街ゼウグマ🕌🌞水底から救い出された繁栄の証
ゼウグマの街の名は”架け橋”という意味です。かつてシルクロードの要所として、またローマ帝国の重要な軍事拠点として莫大な富を蓄えていました。それを象徴するのが展示されている当時のままの邸宅の床に描かれたモザイク画です。
精緻なグラデーション: 影の付け方や衣服のドレープの表現は、もはや絵画そのものです。
神話の世界: 海神ポセイドンや、ディオニュソスの婚礼など、当時の人々の豊かな精神世界が足元を彩っていました。
戦争に負け放棄された街が泥土に埋まり隠れされ、ダム建設によって掘り起こされたからこそ、これほど美しい状態で守られたという皮肉な歴史も、作品に深い情緒を添えていますね。






レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」にも比肩するその強い眼差し「ジプシーの少女」
黒幕で覆われた特別展示室に足を踏み入れると、まずその保存状態の良さに言葉を失います。2000年近く前のものとは思えないほど鮮やかな色彩。この博物館の象徴である「ジプシーの少女(The Gypsy Girl)」の前に立った時、鳥肌が立ちました。
どの角度から見てもこちらを見つめ返してくるその瞳は、まるで現代を生きる私たちに何かを問いかけているかのよう。レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」にも比肩するその強い眼差しは、一度見たら忘れられない磁力を持っています。










1万2000年前に建造された世界最古の神殿遺構「ギョベクリテペ」
次の目的地は、今回の旅で最も行きたかった世界遺産ギョベクリ・テペ(Göbekli Tepe)遺跡です。トルコ南東部に位置するこの遺跡は、なんと約1万2000年前に建造された世界最古の神殿遺構です。エジプトのピラミッドより約7000年も古く、2018年にはユネスコ世界遺産に登録されました。
紀元前1万年頃、つまり石器時代にギョベクリ・テペは建設されていたのです。
これまでの考古学では、「農業の開始(定住)→ 社会の複雑化 → 宗教施設の建設」という順序が定説でした。しかし、ギョベクリ・テペは狩猟採集民の手によって作られたことが判明し、「宗教的な集まりが先にあって、人々を養うために農業が始まった」という、人類史のパラダイムシフトを引き起こしました。「考古学の常識を根底から覆した」と言われるほど極めて高い価値を持つ存在です。












この道の真ん中あたりから左に道を曲がります。
古代遺跡に空飛ぶ円盤が着陸!?











タシュテペレルの丘の上には遺構を囲う巨大ドーム






放射性炭素年代測定等の多角的分析で1万2000年前の建設と判明

ギョベクリテペ遺跡の発掘と並行して最も重要視されたのが建設年代の特定です。
放射性炭素年代測定(C14法):遺跡から出土した有機物を測定、石柱の表面に長い年月をかけて付着した石灰成分を分析しました。
層位学(地層の重なりを見る学問)分析:遺跡を埋めていた土の中に含まれる狩猟された動物の骨や石器などの遺物を測定することで、いつ埋められたのか(=いつまで使われていたのか)という終焉の時期を特定しています。
石器のタイプによる比較:遺物の中でも石器は重要なカギです。石器のカタチを比較し、使用された年代を特定しました。
これらの多角的な検証により、ギョベクリテペが「文明の定説」を覆すほど古い、氷河期が終わってすぐの時代(約1万2000年前)に建設されたことが揺るぎない事実として確定したのです。
これほど古い時代の遺構が、まさにほぼ完璧な保存状態で現代に現れたことは、考古学における奇跡と言っても過言ではありませんね。奇跡の発見とされています。

ギョベクリテペ遺跡の発見で、従来からの考古学の常識が根底から覆されました。1万2000年前と言えば新石器時代。エジプトにピラミッドが誕生する7000年も前の出来事だったのです。定住生活や農業が始まる前の「狩猟採集民」によって、これほどまでに巨大で複雑な構造物が造られていたのです。従来の考古学では「農業が始まり、定住が起こり、余剰資源が生まれてから宗教施設(神殿)が作られた」はずだったのです。それが「宗教的な集まりのために人々が集結し、その集団を養うために農耕が始まった」ということになってしまったのです。
でもそんなことがあるのでしょうか?実際に自分の眼で確かめる時間が始まりました。
まだ農耕すら始まっていない時代に、人類はこれほどまでに精緻な神殿を造っていた











精緻な彫刻はただの飾りではなく、人類最古の宗教誕生の重要なカギに🗝️🔯









上の石柱の模様について、調査団は次のような見解を表明しています。(原文のGoogle翻訳)
『ギョベクリ・テペの石柱に描かれたいくつかの画像は、物語的な意味を示唆している。その顕著な例の一つが、囲い地Dにある43番柱である。この柱の西側の広い面全体には、様々なモチーフが描かれている。中でも目を引くのは大きなハゲワシだ。左翼を持ち上げ、右翼は前方を指している。この仕草は、右翼の先端の上にある球体か円盤を指している可能性がある。しかし、ハゲワシの右側には、別の鳥、おそらくトキか若いハゲワシが描かれている。この画像を若い鳥の描写と解釈すると、ハゲワシの広げた翼は保護の仕草であり、球体は若い鳥が孵化した卵である可能性がある。太陽や月を描いた可能性もある。しかし、後述するように、この風景は全く異なる意味を持つ可能性もある。
この場面の右上には、蛇、2つのH字型のシンボル、そして野鳥が描かれている。柱の軸には、巨大なサソリと、別の鳥の頭と首が描かれている。サソリと鳥の左側のいくつかのレリーフは周囲の壁に隠れているが、鳥の首の右側には特に興味深いモチーフが描かれている。柱の損傷のため完全には保存されていないが、勃起した陰茎を持つ頭のない人間の描写ははっきりと認識できる。この描写は、いくつかの遺跡で知られている新石器時代初期の死の崇拝の側面に関連しているようで、ハゲワシの翼の上にある球状の物体について別の解釈を提供する。それは人間の頭を描いたものかもしれない。しかし、柱のレリーフのこの側面にあまり重きを置かなくても、このイメージの背後にある意図は自然を描写するだけにとどまらないことは明らかである。
柱43の最上部には、ドーム状の「アーチ」が頂上に付いた長方形の物体が3つ並んでいる。それぞれの物体の「アーチ」には動物が描かれています。これらの画像の意味を推測するのは難しいですが、使用されていた当時の囲いを側面から見たものかもしれません。長方形の部分は外壁を表し、ドーム状の部分は屋根を示している可能性があります。
通常、どの囲いにも1種類の動物が描かれていることが多いので、ここでは異なるグループの建物が描かれ、それぞれのグループを象徴する動物が識別のために加えられているというのは興味深い考えです。この論理に従うと、これらの囲いは、ギョベクリ・テペの他の自然主義的な表現と比べると非常に珍しい、ほぼ技術的な断面図のような概略図で描かれていると考えることもできます。』
人類が自然界の中で「自分たちは特別な存在である」という自覚の始まり




エンクロージャー内の巨石柱やレリーフ類を検証して得られた結論(推論)は、「神」の概念がこの時代に誕生したのではないか?ということです。
遺跡の石柱は、抽象化された「人間」の姿(手やベルトが彫られている)を表していると考えられています。 それまでの旧石器時代の芸術(洞窟壁画など)は、主に「獲物となる動物」が主役でした。しかし、ギョベクリテペでは人間を模した巨大な柱が中心に据えられ、その周囲に動物たちが配置されています。
これは、人類が自然界の中で「自分たちは特別な存在である」という自覚を持ち、人間を神格化し始めた瞬間を捉えているのではないかと指摘されているのです。
埋め戻すことが意味する謎に包まれた「埋設」の習慣
この遺跡のもう一つの大きな特徴は、「意図的に埋められた」形跡があることです。最初に造った神殿が埋められ、その上にまた新しい神殿が築かれるというプロセスが繰り返されており、この地が数千年にわたって聖地として機能していたことがわかります。重層的な歴史を重ねた神殿だということです。





ギョベクリ・テペはある程度の期間(数百年単位)使用された後、土や石で完全に覆い隠されました。なぜ彼らが多大な労力をかけて築いた聖域を自ら埋めたのかは、今も考古学上の大きな謎の一つです。しかし、この「埋設」のおかげで、遺跡は風化することなく非常に良好な状態で現代に残されました。


ギョベクリテペの発見は文明の起源の順序を逆転させた🕰️
ここまで見てきたギョベクリテペの特徴をあげると…中心的なシンボル「高さ6メートル、重さ10〜20トンにも及ぶ巨大なT字型石柱」、石柱に刻まれる精緻な動物の浮き彫り(ライオン、サソリ、ハゲワシなど)、埋め戻しながらさらに積み上げる神殿造り。
これらの作業が、1万2000年前の石器時代に実際に行われていたのでしょうか?巨大な石柱を数キロ離れた石切り場から運び出し、直立させるには、数百人規模の組織的な労働力が必要だったはずです。それに伴い、「リーダーシップ」や「分業」が生まれていたと思われます。金属器がない時代に、石の道具だけで硬い石灰岩を切り出し、精緻な動物の浮き彫りすには職人技的な技術の伝承も必要だったでしょう。
つまり、石器時代の狩猟採集民にも高度な社会組織を持っていたことが証明されました。これによって、従来の考古学で定説であった「狩猟採集をやめ農業の開始→食料が安定し一ヵ所に住み着く(定住)→ 社会の複雑化 → 宗教施設の建設」という順序が一変して、「まず宗教的な情熱(神殿づくり)があり、その巨大プロジェクトを支える食料を確保するために農業が始まった。」という、人類史のパラダイムシフトを引き起こしました。「考古学の常識を根底から覆した」と言われるほど極めて高い価値を持つ存在と言われる由縁です。


初日からハイライト🎊ピラミッドに向かうツアーバスには警察官も同乗して安全を確保してます。 エジプト観光第1日目はギザの三大ピラミッド(Great Pyramid of Giza)からスタートです。初日からテンション[…]



時を超えた巨石との対話『シャンルウルファ考古学博物館』
トルコの灼けるような太陽が降り注ぐシャンルウルファの地で、私は人生で忘れられない二つの体験をしました。一つは、人類最古の神殿とも呼ばれる「ギョベクリテペ」の丘での光景。そしてもう一つは、その興奮が冷めやらぬまま足を運んだ「シャンルウルファ考古学博物館」での時間です。
シャンルウルファ考古学博物館にはギョベクリテペの遺跡からの出土品が多く収められています。この2つをセットで訪れることで、1万2000年前の人類の営みが立体的に浮かび上がってきました。






俯瞰の視点から対峙の視点へ、ギョベクリテペ遺跡を等身大で触れる。
いよいよギョベクリテペ遺跡の発掘物の展示エリアに入ります。
ギョベクリテペの遺跡を訪れた際、私は見学通路から発掘現場をじっくりと眺めました。遙か昔、まだ人類が農耕すら始める前にこれほどの巨大な建造物を築いたという事実に圧倒されながらも、どこか「歴史の証人」として高い位置から静かに見守るような感覚でした。遺跡の巨石たちは、時の流れの中に静かに沈み込んでいるように見え、その全容を遠くから俯瞰することで、当時の驚異的な建築技術に想いを馳せていました。
しかし、ギョベクリテペの展示エリアに足を踏み入れ、その印象は一変しました。






圧倒的なリアリティ、ギョベクリテペのエンクロージャー巨石の真の姿
そしてついに、ギョベクリテペの巨石群を実物大で再現したエリアに入場です。

遺跡の展望台から見下ろしていたときには、想像の中に留まっていた「石の大きさ」。しかし、ここでは違いました。自分のすぐ横に、当時のままの姿でそびえ立つ石柱たち。首を大きく見上げなければ頂上が見えないほどの威圧感と、肌に伝わってくるような荒々しい質感。
「こんなにも大きかったのか」
思わず声が漏れました。遺跡で見下ろしていたときは平面的に感じていた巨大な石たちが、ここでは私の身体的スケールをはるかに凌駕し、圧倒的な存在感で迫ってきました。それは単なる展示物ではなく、1万2000年前の人々が祈りを捧げ、想いを込めて建てた「聖域」そのものが、現代に蘇っているようでした。











歴史と私たちがつながる場所
ギョベクリテペの人類最初の宗教建築では、未加工の石柱に動物のレリーフが彫られただけのものでしたが、後世では都市国家が確立し、王の権威を示すために、より高度な加工技術で「守護神」として作られたものになっています。
同じ博物館内で、この進化の過程——「初期の抽象的な信仰の対象」から「都市の守護者としての具象彫刻」へ——を同時に見ることができるのは、この博物館ならではの贅沢な体験ですよ。

この日の旅は、遺跡で自分の足で全体を把握し、博物館でその「圧倒的な実在感」を体感する。この二つの体験が組み合わさることで、ギョベクリテペは私の中で、教科書の中の遠い歴史から、脈々とつながる人類の記憶へと変わりました。
博物館を出てシャンルウルファの街を歩くと、夕闇が迫る中、どこか別の時代を歩いているような不思議な感覚に包まれていました。人類の歴史の壮大さに触れ、自分の存在がその長い歴史のほんの一端であることを強く実感した、至福の旅の1ページとなりました。
「神々の座:ネムルート山」で朝を迎える。
翌日は、もう一つの目的地「神々の座:ネムルート山」に向かいます。ギョベクリテペから数千年の時を飛び越え、次に向かったのは標高2,134メートルの山頂です。(次の投稿で後半旅を紹介します)

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