- 1 エジプト航空に初乗り🛫早朝のカイロから空路でアスワンへ🛫ひとっ飛び
- 2 ナイル川西岸の広大な荒涼地に満々と水を湛えるアスワンハイダム
- 3 クレオパトラが守り抜いた古代エジプト宗教の最期の砦『イシス神殿』⭐⭐⭐⭐⭐
- 3.1 アブシンベル神殿よりも数奇な運命を辿った水没の歴史を刻むフィラエ島
- 3.2 湖に浮かぶイシス神殿には渡し舟で向かう🚢ナイル川を渡る涼風に吹かれながら快適船旅
- 3.3 イシス神殿を建設したのはクレオパトラの父「プトレマイオス12世」それが数奇な運命の始まり
- 3.4 エジプト神話をもう一度復習🧐神殿の見学には欠かせないレリーフとヒエログリフの解読
- 3.5 入口で出迎えるローマ列柱🕌増改築を繰り返したイシス神殿はエリア毎に歴史の象徴
- 3.6 翻弄された神殿の歴史🔨破壊され💣盗掘に遭い🕵️♂️海外に持ち出された世界遺産
- 3.7 偶像崇拝禁忌で破壊されたレリーフの謎❓不思議だらけな…削り取られた神や王たちの顔や身体
- 3.8 イシス神殿にもあった!?ロゼッタストーン🔳古代エジプト最後のヒエログリフ
- 3.9 本殿で最初に迎える猫😸🐱守り神?いえいえ 「チップを取られますよ」
- 3.10 神殿レリーフに広がる💖母としての愛情あふれたイシス女神の世界
- 3.11 クレオパトラが守り抜いた古代エジプト宗教の”最期の砦”イシス神殿
- 3.12 島に戻ってきたイシス神のための休憩所『トラヤヌス帝のキオスク』
- 3.13 見つけてください🧐湖底に沈んでしまった元のフィラエ神殿(島)
- 4 アフリカ内陸部とつながる古代エジプトで最大の交易都市『アスワン』
- 5 五つ星クルーズ船『Concerto号』に乗船🚢悠久の大地エジプト縦断ナイルの旅に出発
エジプト航空に初乗り🛫
早朝のカイロから空路でアスワンへ🛫ひとっ飛び
エジプト縦断旅3日目、今日はカイロから一気にアスワンに飛びます。そして、そしてクルーズ船に乗船して、ナイル川をカイロに向かってゆっくりと下る旅が始まります。
今回のエジプト旅はH社の添乗員同行ツアーです。日本出発の直前に届いた確定の「旅程表」に載っていたクルーズ船名は「CONCERTO号」。事前に口コミを検索すると…「施設が古い」「エンジン音がうるさくて眠れない」「お湯が出ない」…等、あまり良いコメントが無く、残念な結果でした。
団体ツアーを今まで利用しなかったのは、こんなふうにホテルや飛行機の席などを事前に選べないからでした。(特に旅行先のホテルのロケーションは、行動範囲が変わってくるので、とても重要ですよね)ただ、このエジプト旅行の時期は、コロナパンデミック解禁直後で個人手配が難しい時期だったので、団体旅行も止むをえませんでした。
さあ、ナイル川クルーズの旅はどんな感じで始まるのでしょうか?期待と不安いっぱいで3日目を出発です。
ナイル川西岸の広大な荒涼地に満々と水を湛えるアスワンハイダム
アスワンハイダム、小学校の教科書にも載っていた20世紀のアフリカ最大の事業と呼ばれた巨大建造物に到着しました。「エジプトの母」とも呼ばれるナイル川の河口から900kmに位置するこのダムは、高さ111m、全長3,600mと世界最大級の巨大ロックフィルダムです。
以前は毎年のように起こっていたナイル川の氾濫を防止するとともに、巨大な電力供給を実現するために建造されたダムです。1902年に完成した第1号のアスワンダム(現在名称アスワン・ロウ・ダム)だけでは治水能力が不足し、追加で建設されたのがアスワンハイダムです。
見学した感想は、「でっかいダムだな…」という程度でした。スケールは感じますが、日本の黒部ダムやアメリカのブラックキャニオンのフーバーダムのように、放水を見上げるような迫力ある見学スポットはありませんでした。時間があるならば、ダムの近くにあるアスワンハイダム完成記念碑の塔(ロータスタワー)に登って、展望台から全体を見渡すのも良いかもしれません。
クレオパトラが守り抜いた古代エジプト宗教の最期の砦『イシス神殿』⭐⭐⭐⭐⭐
アブシンベル神殿よりも数奇な運命を辿った水没の歴史を刻むフィラエ島
アスワンハイダムの建設により驚異的な移築をおこなったアブシンベル神殿は有名ですが、もっと数奇な運命を辿ったのがイシス(フィラエ)神殿です。
元の神殿は、フィラエ島にありました。1972年に完成したアスワンロウダムによって水没したこの地のフィラエ島にあった神殿は半分水没してしまいました。その後のアスワンハイダムの建設を機にユネスコにより1980年、フィラエ島からアギルキア島(現在のフィラエ島と呼ばれている)に移築され、現在に至っています。ちなみに、現在の神殿のテラスからも水没した旧フィラエ島の神殿跡が一部眺められますよ。
湖に浮かぶイシス神殿には渡し舟で向かう
🚢ナイル川を渡る涼風に吹かれながら快適船旅
イシス神殿を建設したのはクレオパトラの父「プトレマイオス12世」それが数奇な運命の始まり
イシス神殿はまさしくその名の通りオシリス神の妻のイシス女神を祀った神殿です。ホルス神を産んだとされるエジプトの聖地で、「ナイルの真珠」と呼ばれてきました。
現在の神殿はプトレマイオス朝(紀元前305年 – 紀元前30年)時代に建設され、その後ローマ時代にわたって増築が行われてきたものです。最初に建設したのはプトレマイオス12世、あの絶世の美女で有名なクレオパトラ(7世)のお父さんです。そんな関係か、遺跡の中にはクレオパトラとされる美しい女性のレリーフがあります。
ローマ帝国が地中海で存在感を増してくると、プトレマイオス朝はその影響を大きく受け、ローマに従属国的な関係となっていきます。実質的な最後の王となったクレオパトラ7世は、ローマの有力政治家ユリウス・カエサルやマルクス・アントニウスと結んで生き残りを図りましたが、長くは続かず、最後には領土はローマに接収されてしまいました。
その後4世紀末に、テオドシウス1世がローマ帝国支配地域の全ての古代神殿を閉鎖しようとした際には、フィラエ神殿は抵抗を続けます。453年に条約が締結され、周辺地域の宗教的自由が保証されることになります。
しかし、100年後の550年に東ローマ帝国のユスティニアヌス1世によりフィラエ神殿は閉鎖され、以後キリスト教会として利用されるという数奇な運命を辿っています。
エジプト神話をもう一度復習🧐
神殿の見学には欠かせないレリーフとヒエログリフの解読
まず、この神殿を見学する上で重要な背景となる、祀られているイシス女神について紹介します。
イシス女神は古代エジプト神話の冥界の王、そして死と復活の神であるオシリス神の妻です。また二人は兄妹でもありました。二人の息子がホルス神、そしてその妻がハトホル女神です。
ホルス神は天空神であり、王権の守護神として敵と戦う勇者でした。ハヤブサの頭をした神で、古代のファラオ(王者)はホルス神の地上での化身とされていました。
オシリス神は弟であるセト神の裏切りに会い殺されてしまい、死体をばらばらにされてエジプト各地にバラまかれてしまいます。それを妻のイシス女神が拾い集め、オシリス神を復活させます。復活したオシリスは伝説的な冥界の王となりました。
死後の生活を重視した古代エジプトでは、冥界の王(死後の世界を支配し再生の力を持つ)であるオシリスは非常に重要な神と崇められていました。
イシス神殿はこんな古代エジプト神話の物語が綴られたレリーフで飾られています。
入口で出迎えるローマ列柱🕌増改築を繰り返したイシス神殿はエリア毎に歴史の象徴
現在残っているイシス神殿は、プトレマイオス朝時代に建設され、その後ローマ時代にわたって増築が行われてきたものなので、エリア毎に珍しい特徴があります。
イシス神殿の手前の広場には列柱が両側に並んでいます。これらの列柱はいずれもローマ帝国の征服後に、歴代の皇帝によって建てられたもので、皇帝や神々の名前が刻まれています。右の列柱は東ローマ帝国時代に建てられたものですが、途中で工事が中断したため未完成のままで、手前の8本の柱頭には装飾のレリーフが施されていません。
翻弄された神殿の歴史🔨破壊され💣盗掘に遭い🕵️♂️海外に持ち出された世界遺産
第一塔門は神殿の入口らしく大きな装飾で飾られています。
中央入口の左側にあるのが誕生殿。入口左手側には敵を倒すプトレマイオス12世の像のレリーフです。王が敵の神を掴み棍棒で殴ろうとする図は、古代エジプトの古くからのモチーフで、王の力強さを示すものです。ただ時代と共に変化し、後期では神殿入口の魔除けとなっていたようです。
この神殿前の広場に接する建物には、翻弄されたエジプトの長い歴史を感じさせる特徴があります。まず、入り口の両脇にあるライオン像、これは日本の神社にある狛犬のように魔よけの意味があります。(※諸説に日本の狛犬は、仏教伝来の際に説話に語られたエジプトのライオン像を、想像して生まれたものと言われています)
このライオン像は顔部分が破壊されています。ローマ帝国の支配時代に、キリスト教の偶像崇拝禁忌により削り落とされたようです。
またその隣に台座だけが残された空間があります。ここには建設当時にオベリスクがありました。イシスのロゼッタストーンと言われる碑文に通じる貴重な遺跡なのですが、19世紀に盗掘に遭いイギリスのサー・ジョン・バンケスの手に渡り、現在はキングストンレーシー・ハウス&パークに設置されています。
エジプトの貴重な遺跡は盗掘や略奪に遭い、世界中に散在してしまいましたが悲しい歴史ですね。
偶像崇拝禁忌で破壊されたレリーフの謎❓不思議だらけな…削り取られた神や王たちの顔や身体
このように残念ながら、現在のイシス神殿は建設当時の姿を留めていません。その原因は ①6世紀に行われたローマ帝国からのキリスト教化政策による偶像崇拝禁忌でレリーフが削り落されたこと。②19世紀になってヨーロッパからの探検家達による盗掘で貴重な遺物が持ち去られたこと。③アスワンハイダム建設による水没で移設される際に不十分な再設置がされたこと。等があげられると思います。
十分な検証がされていないので謎だらけですが、それだけに、私にとってこの神殿はとても興味深い遺跡となりました。
※帰国後、いろいろな文献や資料を探し、検証中です。特に移築工事の直前に「早稲田大学エジプト発掘調査隊」の記録をまとめた吉村作治先生のレポートが興味深く、深読み中です。
特にイシス神殿の壁画のレリーフは、ローマ帝国からのキリスト教化政策による偶像崇拝禁忌で削り落とされています。それも、イシスやホルス等の神々の貴重なレリーフの顔が削られているのが残念です。損傷個所にはバラツキがあるのですが、中でも本殿は後年に中心的なキリスト教会として使われていたのこともあり、特に酷いです。
エジプトの遺跡の中では、ハトシェプスト女王のレリーフが死後、トトメス3世によりことごとく削り取られてしまいました事件(諸説あり)は有名ですが、このイシス神殿ではキリスト教化政策による偶像崇拝禁忌で後のキリスト教徒達によって行われたのが特徴的ですね。
イシス神殿にもあった!?ロゼッタストーン🔳古代エジプト最後のヒエログリフ
第2塔門前の広場では、とても貴重な遺跡をみつけることができます。右側の壁面の手前にある石碑です。地元のガイドさんはこの石碑を「イシスのロゼッタストーン」と言っていました。(実際は違いますが…)
もともとロゼッタストーンは、紀元前196年にプトレマイオス5世によってメンフィスで出された勅令を刻んだもので、1799年にロゼッタで見つかったことから、この名前が付けられ、現在は大英博物館の名物展示物となっています。古代エジプトの象形文字「ヒエログリフ」を理解する鍵となり、他の古代エジプト語の記録も解読が可能にした貴重な遺物ですね。
イシス神殿の石碑にもロゼッタストーンと同様に、ヒエログリフによる勅令が記されています。そしてとても重大なことは、この碑文と盗掘に遭って現在イギリスのキングストンレーシー・ハウス&パークに設置されている「イシスのオベリスク」を合わせ読むと、象形文字「ヒエログリフ」の解読が数段進むという事実です。
これは碑文の中に、この地を訪れたクレオパトラについての記述があり、その翻訳部分が後世になって、ヒエログリフの貴重な解釈につながる手掛かりになったらしいです。その意味では大英博物館にある本物のロゼッタストーンよりも必見の遺跡ですよ。「イシスの勅令ストーン」必見です。
本殿で最初に迎える猫😸🐱守り神?いえいえ 「チップを取られますよ」
神殿レリーフに広がる💖母としての愛情あふれたイシス女神の世界
いよいよ本殿に入ると、壁面いっぱいに広がるレリーフやヒエログリフに目を奪われます。イシス神殿の壁面装飾はエジプトの中でも比較的保存状態が良いようです。特に本殿の奥に進むほどに綺麗な状態となっています。
レリーフの装飾は古代エジプトの神話の世界が描かれていますが、中心はやはりイシス女神です。イシス女神がこの神殿で、オシリス神との間にホルス神を生んだ地なので、母としての愛情あふれた表情や、後世の神々の母としての威厳に満ちた世界が描かれています。赤ん坊のホルス神を抱いて乳を飲ませているイシス女神像や、羽根でオシリス神を包むイシス女神…人生ゲームのように辿って鑑賞するのも楽しいです。
最奥部の至聖所の部屋まで壁一面のレリーフが続きます。事前に神々の帽子のデザインやヒエログリフの文字を覚えておくと、壁画の意味が読み取れて、とてもワクワクしながら見学ができますよ。
壁面の装飾の意味についてはガイドさんに聴くのが一番ですが…自分でも理解を進めるためのポイントは神々の特徴を頭に入れておくことです。頭上の飾り、仮面の動物、衣裳の違いで、神が誰なのか、一般人なのかが分かりますよ。
この神々の特徴をわかりやすくイラストで紹介したホームページを見つけました。岩田 穆さんのホームページ【古代エジプトの神々と神話】がとても参考になります。わかりやすい解説、ありがとうございます。
クレオパトラが守り抜いた古代エジプト宗教の”最期の砦”イシス神殿
イシス神殿は、世界三大美女の一人として有名なクレオパトラのお父さん「プトレマイオス12世」が建造したものです。そんな関係もあり、クレオパトラは度々この神殿を訪れています。
ちなみにクレオパトラは代々引き継がれた名前ですが、伝説の美女クレオパトラは”7世”のことです。地中海でローマ帝国が勢力を増し、エジプト(プトレマイオス朝)が従属国の地位に落ちていくと、実質的な最後の王となったクレオパトラ7世は、ローマの英雄カエサルやアントニウスを魅了し同盟を結び、プトレマイオス朝の延命を図りました。(純粋な愛情だったかもしれませんが…)
しかし、紀元前31年の「ギリシャ・アクティウムの海戦」でアントニウス・クレオパトラ軍は大敗を喫し、悲観した二人は自殺してしまったため、エジプト(プトレマイオス朝)も終焉を迎えました。
このような背景があり、イシス神殿はクレオパトラの庇護によりローマ帝国から支配されることを拒み続けることができたようです。ローマ帝国の進攻とともにキリスト教の布教が広まり、エジプト中の古代神殿が閉鎖されることになった時にも、フィラエ神殿は抵抗を続け、条約によりその後も約100年間の宗教的自由が保証された程です。
つまりイシス神殿は古代エジプト宗教の最期の砦になったので、イシス神殿の壁面に刻まれているレリーフは、エジプトで最後のヒエログリフ(象形文字)が残っている貴重な存在ですね。
島に戻ってきたイシス神のための休憩所『トラヤヌス帝のキオスク』
見つけてください🧐湖底に沈んでしまった元のフィラエ神殿(島)
アフリカ内陸部とつながる古代エジプトで最大の交易都市『アスワン』
アスワンは、古代エジプト時代にはスウェネト(Swenet)と呼ばれた南の辺境の町でした。ナイル川はこの地で急流となっていたため、船で先に進むことはできず、陸路に乗り換え進みました。そんな地理的な環境から交易の拠点として賑わいました。由来となったスウェネトとは古代エジプトの言語で「交易」を意味しています。
市街にある大きなバザールには、衣類や香辛料、食堂等、アフリカ内陸部とつながる雰囲気が現在でも漂っていますよ。
五つ星クルーズ船『Concerto号』に乗船🚢悠久の大地エジプト縦断ナイルの旅に出発
いよいよ、今回の旅の目的の一つでもあった「ナイル川クルーズ」への乗船です。
楽しみに待っていたのですが、日本出発の直前に送られてきた日程表を確認して、クルーズ船の名前が「コンチェルトConcerto号」と分かると、ちょっと不安になっていました。検索した口コミでは「設備が古い」「機械音がうるさくて眠れない」「これが五つ星ホテルなの?」とあまり評判が良くなかったのです。
アスワンの港に着くと、たくさんの船が停泊していました。どの船も岸壁から見ると3階建てくらいの立派な船ばかりです。早速コンチェルト号に乗船。中のロビーは螺旋階段もあり立派でしたが・・・ちょっと薄暗くて、やはり古さは隠せません・・・。
ところが、このロビーを通り抜けて、この船の隣に横付けされた次の船に移りました。こちらはロビーが2階まで吹き抜けになっていて、窓も大きく明るい雰囲気で綺麗です。こちらの船が今回乗船する「コンチェルトConcerto”2世”号」でした。口コミには旧型の船の書き込みが多かったようで、ひと安心です。
早速、部屋に。私の部屋は2階のバルコニー付のツインルーム。一般的な五つ星ホテルの設備と同じと言うわけにはいきませんが、船上ホテルとしては十分な広さと設備でした。特にバルコニーが全開するので、ナイル河畔に広がる壮大な景色が朝昼晩と移り変わり、24時間エジプトが楽しめました。この旅でいっぺんに”クルーズ船ファン”にさせられました。
次のブログからはエジプトの観光とともに、クルーズ船旅の楽しさもお伝えしたいと思います。
コンチェルト号での船旅、とても充実した想い出になったので…部屋からの眺め、美味しいビュッフェ、船上でのイベントプログラム等々、次のブログで詳しく紹介します。
初日からハイライト🎊ピラミッドに向かうツアーバスには警察官も同乗して安全を確保してます。 エジプト観光第1日目はギザの三大ピラミッド(Great Pyramid of Giza)からスタートです。初日からテンション[…]
行った人にしかわからない海外旅行情報を最新版で届けます。 私は現在、世界一周旅行進行中です。今まで250回を超える海外旅行をしてきましたが、初めての世界一周旅行です。私の場合…仕事の合間を縫っての海外旅行なので[…]
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