私の世界5大陸制覇チャレンジについて、ラジオと新聞で紹介されました。
新聞に掲載されたインタビューを転載します。
佐藤隆一さん profile
東京都出身。渋谷区在住。公益財団法人日本陸上競技連盟(以下、日本陸連)に所属するマスターズ・アスリート。50代でランニングを始め、56歳で挑戦した東京マラソンをきっかけに、日本陸連に所属し数々の競技大会に出場。
平成26年の第35回全日本マスターズ陸上競技選手権大会で優勝(800m)したことを皮切りに、平成29年のワールドマスターズゲームズ・オークランド大会でも優勝(400m、300m ハードル)を果たし、これまで多くの国際大会で好成績を飾る。近年は競技大会に出場しつつ、陸上競技で出会った友人を訪ね、各国のローカル競技大会も楽しむ。現在の目標は、世界五大陸での選手権制覇。
「負けたくない」という一心で、競技にのめり込んだ
Q:佐藤さんが陸上競技を始めたきっかけについて教えてください。
佐藤:50代のころ、自分の体型が気になりダイエットをしようと、ランニングを始めたのがきっかけです。最初は市民ランナーとして、腕試しに地域のマラソン大会に出場していました。
Q:その後、日本陸連に所属し、陸上競技を本格的にやっていこうと考えた理由は何ですか?
佐藤:世界陸上(世界陸上競技選手権大会)のテレビ中継で、MCの人の「世の中には魅力あるスポーツがたくさんありますが、かけっこをしない国はありません。陸上競技には心が揺さぶられる人間ドラマがあります」というコメントに刺激され、「世界中のかけっこの一番になりたい」と思うようになりました。そんな中、56歳の時に東京マラソンの 10kmの部(当時)に出場したんです。レース終盤、私は上位に食い込んでいたものの、集団の中でロシアとイギリスの選手と競り合っていました。皇居の内堀通りに差し掛かった時、「ゴール手前で負けるわけにはいかない」と奮起し、粘りに粘って 34位でゴールしました。この大会で、競うことの楽しさを覚え、国際大会を目指すようになったんです。ところが、いざ陸上競技の世界に入ってみると、周りの選手たちのレベルの高さに圧倒されました。最初はほとんど予選敗退でしたね。
Q:当時、成績が振るわなくても陸上競技を続けようと思ったのはなぜでしょうか?
佐藤:積み重ねてきた練習を無駄にしたくなかったという気持ちが大きいですね。世界マスターズ陸上競技選手権大会は 2年に1度しか開催されません。その間は毎日、練習や体重のコントロールが欠かせないので、大会で負けたら努力がもったいないと感じ、競技にのめり込んでいきました。
年齢を重ねても、諦めずに挑戦し続けたい
Q:国内外の大会に出場する中で、印象に残っていることはありますか?
佐藤:ヨーロッパやアメリカでは、陸上競技がとても盛んです。陸上競技の大会は週末に決勝レースが組まれていて、地域の人たちが気軽に観戦にきます。アリーナで行われる室内陸上大会は、1 周 200m と短いコースを使うので、コーナーの急カーブで体の接触が激しいレースが展開されるんです。実況中継も熱が入るので、会場が非常に盛り上がります。そんな会場で(遠くアジアから来た)日本人の私が優勝すると、ウィニングランで温かくひときわ大きな声援をもらえるんですよ。陸上競技は選手も観客も一緒に楽しめるスポーツだと感じます。
Q:平成26年の第35回全日本マスターズ陸上競技選手権大会、平成29年のワールドマスターズゲームズ・オークランド大会で優勝した時の気持ちをお聞かせください。
佐藤:全日本で優勝した時は、正直なところ、それほどうれしくなかったんです。この大会はアジア選手権との併催だったので、日本人だけでなくアジア各国の選手も出場していました。私は日本人の中では1位でしたが、レース全体では中国人選手に負けてしまいました。うれしさよりも「負けた」という感覚が強かったですね。この悔しさをばねにして練習を重ね、3年後の世界選手権(オークランド大会)で優勝しました。この時、選手仲間から「SHINKANSEN(新幹線)」というニックネームをもらったんです。ようやく周りの選手たちから認められた気がして、とてもうれしかったですね。
Q:日本および世界チャンピオンになるまで、どのような苦労や厳しさがありましたか?
佐藤:とにかく練習時間の確保に苦労しました。日中は仕事をしていたので、会社帰りに陸上競技場でトレーニングして、くたくたになって帰宅し、翌朝も会社に行く、という日々の繰り返しでした。新潟県に単身赴任した時は、冬の間、吹雪の中で練習していましたね。私は陸上競技のプロ選手ではないので、仕事との両立が一番大変でした。
Q:世界を舞台に挑戦し続けている原動力は何でしょうか?
佐藤:「諦めたくない」という気持ちです。年を重ねると、さまざまなことを諦めてしまうようになります。でも、80歳でエベレストを登頂したプロスキーヤーの三浦雄一郎さんは、「老いることは怖くない。怖いのは目標を失うことだ」と、著書の中でおっしゃっています。この言葉に深く共感しました。諦めてしまう前に挑戦しようと思い、毎年、誕生日を迎えるまでにタイムを0.1秒でも縮めるという目標を立てています。実際、昨年の国際大会の 800m走で3位に入った時の私のタイムは、50代の時の記録よりも縮まっていたんですよ。
Q:コロナ禍を経て、陸上競技に対する考え方が変わったそうですね。
佐藤:令和4年にフィンランドで開催された国際大会に出場した時、親しいウクライナの選手と再会したんです。彼は、平成27年にフランスで行われた国際大会の決勝で戦ったライバルでした。戦禍に見舞われながらも出場を果たした彼の姿に驚きながらも、ほかの選手仲間とともに無事を祝い、励ます時間を過ごしました。スポーツを通じてつながった仲間との絆を強く感じた瞬間でもありましたね。そのころから、陸上競技に対する考え方が「勝ち負けを競うこと」から、「同年代の選手と出会い、競技として楽しく走ること」に移り変わっていきました。
年齢を重ね、大会出場を重ねた分、広がった仲間の輪を、競技を通じて楽しみたいと思うようになりました。
ともに戦った仲間たちを訪ねながら陸上競技を楽しむ
「世界5大陸の制覇」への挑戦
Q:陸上競技における今後の目標をお聞かせください。
佐藤:今年70歳を迎えた節目に「世界5大陸の制覇」という目標を掲げ、挑戦を始めています。陸上競技で出会ったライバルを訪ねながら、国際大会に挑戦しつつ、各国のローカル大会も楽しみます。昨年11月にオーストラリアのゴールドコーストで開催されたパンパシフィック選手権、今年 5月に韓国の益山で開催されたアジア選手権、7月のフィンランド・タンペレで開催されたヨーロッパ選手権で優勝し、三大陸を制覇しました。残るは、アメリカ大陸とアフリカ大陸になりました。今後は目標達成に向けて、体調管理を徹底していきたいと思います。それから、海外遠征で得た経験、知識、人とのつながりの大切さなどを、次世代を担う子どもたちに伝える活動にも取り組んでいきたいですね。
Q:佐藤さんにとって、渋谷区はどのような街ですか?
佐藤:渋谷区は「若者の街」というイメージが強いですが、高齢者にとっても住みやすい街だと感じます。明治神宮や代々木公園のように緑豊かな場所が多く、自然にたくさん触れることができます。さらに、60歳以上の高齢者は区立のスポーツジムが無料で利用できますし、高齢者支援の制度や施設がたくさんあります。渋谷区はそのような制度や環境が整備されています。区の魅力に引き付けられて、若い人たちが集まり、高齢者もいきいきと毎日を過ごせる。まさに多様性を認め合い、人々が支え合い、発展している街だと感じますね。
Q:区民の皆さんへ向けて、メッセージをお願いします。
佐藤:近所の商店街を走っていると、いつもいろいろな人から「元気?」「今日も走っているね」と声を掛けられます。渋谷区はこうして気軽に人と交流できる街なので、誰もが一歩外に踏み出せば、人とつながって、毎日をいきいきと過ごせるようになると思います。年を重ねてもいろいろなことに挑戦できると思いますので、諦めないでくださいね。一緒に頑張りましょう。
新たに目指す目標は『世界5大陸の制覇!』への挑戦。楽しくそしてハードに世界を旅してます。 私は日本陸連所属のマスターズ(シニア)・アスリートです。 50代でメタボ体型をダイエットしようと始めたランニングでし[…]